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似ているお話

昔んかし、
浦添村の伊祖 (いず / いそ) という部落に『恵祖 (ヱス / ヱソ) の世の主』と呼ばれた男が住んでいました。

似ているお話
*エ (え) →ヱ (ぃえ) 、祖 (ソ) の沖縄語は 祖 (す / ズ)です。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11809573732.html?frm=theme

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『恵祖 (ぃえす) の世の主』と呼ばれた男は、高齢にて結婚し、刀自 (とぅじ) =妻といっしょに浦添村の伊祖でひっそりと暮らしていました。

二人はずっと子供が欲しいと思っていましたが、なかなか子宝に恵まれません。


ー・ー・ー


ある日、刀自 (とぅじ / 妻) は太陽の日射しを避けるため、木陰で休憩 (なかゆくい) をしているうち 眠気に誘われ、 眠りにつきました。次第に太陽の日射しが木陰まで伸びてきて、刀自の陰部を射しました。

すると!!たちまち、お腹が温かく膨らみ、玉のやうな太陽の子が生まれてきました。その後、「熱い」と思い、刀自は目を覚ましました!残念ながらそれは、夢でした。

ところが、その夢を見た後、刀自 (とぅじ) は本当に妊娠して待望の子が生まれてきました。そして、その子の名前を『英祖 (イーズ) 』と名付けました。13世紀の1229年、鎌倉時代のお話です。

似ているお話
『英祖』が生まれたのが浦添村の『伊祖』で、父親の名前はわかりませんが、回りからは『恵祖』の世の主、呼ばれていました。伊祖 (イズ / イソ) の恵祖 (ヱス / ヱソ) に英祖 (イーズ / エイソ) 、世襲制の時代でありましたから、似たような名前をつけたと思われます。

英祖は太陽の夢を見て生まれてきたので、太陽の子=天日子 (てだこ) と呼ばれ、すくすくと成長しました。

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浦添村の伊祖のとなり部落→浦添村の仲間には、浦添城という琉球の王が住む城がありました。言い伝えによると、王さまは、源為朝 (ためとも) の遺児・舜天王といいました。*源為朝 (ためとも) は、鎌倉幕府を開いた源頼朝 (よりとも) の叔父さんです。


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1237年 源為朝 (ためとも) の遺児・舜天王が亡くなる。

舜天王の子・舜馬順熙が53歳の高齢にして王位につくも、わずか10年という短期間で終わる。そして、舜馬順熙の子・義本王が誕生しました。しかしその時代は、未曾有 (みぞう) の大飢饉があり、疫病が大流行して『人民半ば失ふ』というありさまでありました。

舜天王統の3代目・義本王は、臣下 (しんか) の前で問いました。

『これは、予 (わたし) に徳がなく、天が見放したのである。この上は、王位を『有徳ある者』に譲り、予は退こうぞ。皆(みな)の者、『有徳ある者』の名前を挙げよ』‥と、臣下に告げました。

⇔臣下らは皆、恵祖の世の主の嫡子・英祖こそ『有徳ある者』と答えました。

そこで、舜天王統の3代目・義本王は、同じく浦添村の伊祖に住んでいた恵祖世の主の子→『英祖』に王位をゆずりました。 http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7077471.html

義本王の在位は11年、ここに舜天王統は3代で終焉⇔英祖王統 (5代 / 90年) が開かれる事になりました。

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琉球国の王統は、舜天王統 (3代) →英祖王統 (5代) →察度王統 (2代) →第一尚氏王統 (7代)→第二尚氏王統 (19代) へと続きました。* 舜天王統 ~察度王統まで「浦添城 (古琉球) 」⇔第一尚氏王統~『首里城 (近世琉球) 』になっています。

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新しい都が首里城 (今の那覇市) ⇔ 古い都が浦添城 (今の浦添市) という関係です。

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古い都・浦添城のあった浦添市の市役所は安波茶 (あはちゃ) という部落になっています。

安波茶 (あはちゃ) という部落には、昔から茶畑は存在しないので、臨済宗 (禅宗) の『お茶』と関係している?‥ http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11809573732.html?frm=theme 思われます。


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鎌倉時代~下り、室町時代、新しい都・首里城の時代、 第一尚氏王統 (7代) ~ 第二尚氏王統 (19代) へと交替する時にも、臨済宗 (禅宗) の僧侶・ 芥隠承琥 (かいいんしょうこ) =「謎」の白髪老臣・安里清信 が登場します。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11940434682.html


ー(・・?ー・ー


琉球の王統が交替する時、仏さま (禅宗) =『お茶』と神さま (祝女)=玉城 (たまぐすく) が登場するような気がしました。* 玉城 (たまぐすく) は祭祀色の強い城 (ぐすく) です。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11774352695.html?frm=theme

仏さま⇔王さま⇔神さま 関係がある?‥ように思います。


ー・ー


英祖は太陽の夢を見て生まれてきたので、太陽の子=天日子 (てだこ) と呼ばれ、すくすくと成長しました。

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英祖 (えいそ) の沖縄語は、英祖 (イーズ) と言います。

英祖 (イーズ) の生まれたお話の内容は、但馬国出石 (いずし) を舞台とする天日矛 (アメノヒボコ) のお話と似ています。http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3

但馬国の出石 (いずし) は古くは伊豆志?‥とも関係していたのか?‥但馬国→今は兵庫県豊岡市出石町伊豆という住所もありました。

英祖 (イーズ) は太陽の子=天日子 (てだこ) と 但馬国出石 (いずし) を舞台とする天日矛 (アメノヒボコ) のお話内容と地名など‥似ていると思いました。

少し複雑なお話になりますが、
天日矛 (アメノヒボコ) は→ http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11941611225.html ← 日子坐王 (ひこいます) の子孫で 神功皇后 (15代・応神天皇の母) の祖 (おや) になります。

日子坐王 (ひこいます) は、複数の后妃に迎えました。12代・景行帝も 日子坐王の血筋で、 12代・景行天皇の皇子が、白鳥伝説の日本建 (ヤマトタケル) になります。

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http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7081679.html   日本建 (ヤマトタケル) のお墓は3つありました。

実は、 英祖 (イーズ) =天日子 (てだこ) に王統を譲った 『義本王 』のお墓も3つあります。

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その中1つは、北中城村の仲順 (ちゅんじゅん) という部落にあり、 『義本王 』その後の名前→ 仲順大主のお墓があります。その仲順のとなり部落に「和仁屋」があります。

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その 「和仁屋」のとなり部落は『熱田』になっています。

英祖 (イーズ) =天日子 (てだこ) に王位を譲った 『義本王 』は、玉城 (たまぐすく) で焼身自殺をしようとしました。http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7077471.html ところが 、玉城 (たまぐすく) に着くと同時に大雨が降ってきたので死ぬ事ができませんでした。

玉城 (たまぐすく) を後にした 『義本王 』は、熱田、和仁屋、仲順あたりで生活し亡くなった‥という1つ説があります。


ー・ー


日本建 (ヤマトタケル) は、草薙剣 (クサナギノツルギ) を尾張国の宮津姫に授けた後、 「伊吹山の神」と決闘をした。この後、日本建 (ヤマトタケル) は伊吹山の神が降らせた激しい氷雨にあって傷つき病んでしまう。この姿を見られまいと思ったのか、宮津姫が待つ尾張国に戻らづ、故郷の大和国に帰ろうとした。*この時、日本建 (ヤマトタケル) が置いていった『草薙剣』は、宮津姫によつて尾張国の熱田社に祀られる事になりました。

霊魂 (まぶい) は、大和国と河内国にも飛んで行きましたが、 日本建 (ヤマトタケル)が死んだのは伊勢国 (三重県) の能褒野 (のぼの)となっており、能褒野王塚古墳という陵墓があるといいます。

なぜか?‥伊勢国 (三重県) の玉城町と沖縄県の玉城 (たまぐすく) は姉妹都市になっている。


ー(・・?ー・ー


これまで、 但馬国の出石、伊勢国 (三重県) の玉城町、尾張国の熱田社、近江国の伊吹山など‥名前が出てきました。その地はとても離れていますが、ある共通性が見られます。

似ているお話
近江国は伊吹山の近く、坂田の息長 (おきなが) 氏と翁長の坂田が似ていました。http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7081476.html

坂田の米原 (まいばら)→ 米原 (よねはら)→ 米原 (よなばる)→与那原 (よなばる) 、長浜の港もきっと関係しています。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11944611966.html

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近江国 坂田の古代豪族・息長 (おきなが) 氏は東側⇔西側は和邇 (わに) 氏の拠点でありました。その、和邇と和仁屋も似ている思いました。

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現在は、北中城村、中城村、宜野湾市など‥3つ分別していますが、

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むかし、1つの中城 (なかぐすく) であった時代がありました。 その地は「謎」の白髪老臣・安里清信 の初期ころ拠点でした。

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むかし、1つの中城 (なかぐすく) であった所に、安里、愛知、長田、当間、奥間など‥ある共通性を持つ部落があり、『多和田さん』が住んでいました。

近江国には (・・? 、 滋賀県米原市多和田という住所もあります。

英祖 (イーズ) =天日子 (てだこ) の英祖王統 (5代)の次の王統→察度王統 (2代) に交替する時も玉城 (たまぐすく) が登場します。英祖王統 (5代)の次の王統→

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http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7040813.html 察度 (さっと) 王の父親が奥間⇔母親が天女でありました。

その天女羽衣伝説は、近江国は長浜市にある「余呉湖」の天女羽衣伝説と似ています。

似ているお話
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E4%BC%9D%E8%AA%AC


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察度 (さっと) 王の母親が「天女」であるお話は、荒唐無稽な『おとぎ話』ではなく、モデルとなる人物がいました。

「天女」のモデルは、玉城 (たまぐすく) の『多和田ヌル』という神女 (祝女 / ヌル) で、 察度 (さっと) 王には、泰期という 異父弟がいて、長浜の港を拠点としていました。

実在する人物と『おとぎ話』のような人物が混沌していますが、暗号のような何かが隠れています。そしてその地はとても離れていますが、ある共通性が見られます。

またその謎 (なぞ) を‥
















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Posted by 阿佐工房 at 2014年10月30日   00:17
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