初飛行
昔んかし、
回りの人々から「飛び安里 (とびあさと) 」‥と呼ばれた人が世界で初めて空を飛びました。*18世紀頃のお話です。

言い伝えによると、
安里周当は、琉球王府に仕える花火師 (ひはなじ) だった。

周当は何度も高津嘉山の上から飛行を試みましたが失敗していた。

それに対して回り人々は「空を飛ぶとは?頭おかし者だ」‥と、異風な者 (いふうなむん) だと見ていました。

いつしか周当は「飛び安里」と呼ばれるようになりました。

残念ながら周当は、とうとう空を飛ぶ夢は叶わなかった。しかし、周当の子→周祥は空を飛ぶことを夢見た父の遺志を受け継ぎ、父と同様に何度も試行錯誤を繰り返し、遂 (つひ) には飛行術に成功した‥と、云われています。

「飛び安里」は誰か?‥について、
安里周当 (しゅうとう) が「飛び安里」であるという説と 周当の子→安里周祥 (しゅうしょう) が「飛び安里」であるという2つ説がある。

また、「飛び安里」がどこで飛んだか?‥ついても3つ説があり、南風原町で飛んだ説 ⇔ 沖縄市で飛んだ説 ⇔ 両方で飛んだ説があります
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そんなお話は聞いた事がない ‥
思う人もいるかも知れません。

世界で初めて空を飛んだのは、『ライト兄弟』だと考える人もいると思いますが、「飛び安里」は『ライト兄弟』よりも100年前に空を飛びました。

1768年
安里周祥は、首里の鳥小堀村 (今は那覇市首里鳥堀町)で、代々花火師であった安里周当の四男として生まれる。後ほど南風原町→越来村 (今は沖縄市) に転居した。*転居先の南風原町で飛んだ説 ⇔ 沖縄市で飛んだ説 ⇔ 両方で飛んだ説など‥3つ説があります。
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それでは?なぜ?‥「飛び安里 (とびあさと) 」 は有名人にならなかったのか?‥という疑問が生まれてきます。
当時、人が空を飛ぶ事は「非行」だとされ、安里周祥 (または周当) は王府に世間を騒がせた罪として逮捕された‥説もある。しかし、「飛び安里」が空を飛んだ事は文献には載らずとも、人々に根強い『言い伝え』が残りました。

その『言い伝え』は、「飛び安里」の死後ずっと後の大正時代に新聞記事で取り上げられると、またたく間に世間に広まりました。

それ以降、「世界の航空史が塗り変わる!」など‥これまで民間伝承であった「飛び安里」は、国家機関をも動かしました。
1987年には、沖縄三越において「飛び安里」の飛行機が展示されたと云われています。

その飛行機は、『羽ばたき機』 という名前であったようです。

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うそか?‥本当かは?‥