2年前くらいお話です。
昔の日本人は、動物蛋白を取っていないので平和…というブログを読んでいました。
深い意味はなく軽い気持ちで、そのブログにこんなコメントをしました。
「海に住む人は気づかないけど、生命に必要不可欠な『しお』を得るため、山に住む人は動物蛋白から『しお』を取っていました。そして、「山」の木から舟を作り「海」で生活していました。
製塩業が行われると同時に「貝塚」がなくなりました。「貝塚」は単なるゴミ捨て場ではなく、貝→動物の『しお』を作る工場で…江戸時代より昔むかし、動物蛋白を取っていたと思います。」
そうコメントすると、ブログ主は物凄い怒りの『攻撃的』な文章で説教をしてきました。そのブログ主は非常に『平和的』な方でしたが、その時ばかりは恐怖を感じました。
生きて行く上、精神修行の1面も必要だと思います。その際、回りが見えなくなり、自分と同じ『考え』を持つ仲間同士集まり、気づかないうち、新興宗教のような1面が生まれてくるのかな? と‥また自分と異なる『考え』を持つ者を攻撃するのは、民主主義ではない? とも思えてきました。
大きな動物において、霜降り牛は出荷が遅れると自力で立てないほど筋肉の落ちた牛、フォワグラは脂肪肝の鳥⇔植物においても農薬、除草剤なども、目に見えない小さな動物を虐待して人間が生きている1面もあります。
動物側⇔植物側にも問題が生まれ、解釈の違いから衝突が生まれている気がします。
西部劇に登場する悪者・インディアンが行っていた儀式は『野蛮』な行為ではなく⇔『感謝』と『謝罪』の意味があったと思います。
生きて行く上、精神修行の1面も、回りの繋がりも必要だと思います。そのブログ主は、非常に『平和的』で純粋まじめな方でした。その後、自分が謝罪すると許してくれました。
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むかし、「筑紫哲也のNews 23」という番組の中で、少年がこう言いました。
『人を殺す事は悪いのか?』というと、討論会始まる放送をしていました。
番組終了後、『人を殺す事』はダメに決まっている。そんな馬鹿げた討論会をと『クレーム』が来ました。その後、アフガニスタン、イラク戦争へと突入して、多くの人々が亡くなりましたが、多く人々は『人を殺す事』を仕方ないと思いました。
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初代・内閣総理大臣 伊藤博文は、直接的に複数の人を殺害していました。
初めて、その文章を読んだ時、頭の中は真っ白パニックしました。
冷静に考えると、織田信長、豊臣秀吉など‥伊藤博文よりも、もっと多くの人々を亡ぼしています。同じ行為をして、『英雄』に見える場合とそうでない場合の転換期は、犬公方 (いぬくぼう) と呼ばれた15代将軍・徳川綱吉の時代だと思われます。
徳川綱吉は、犬を大切に、大きな動物、小さな動物、蚊さえも殺す事を禁じていました。
江戸時代の途中、天下の悪法と呼ばれた「生類憐みの令」が出るまで、日本人は犬を食べていました。
江戸は100万人都市に膨らみ、インフラ整備が間に合わづ、「疫病」が流行。病死した牛馬や人間の捨て子が水路に流れ、それを食べた野犬が「病原菌」をまき散らしており、その犬をまた人が食べる。貧富の差がはげしかった江戸では、貧しさから「捨て子」が多発、金をもらって子供を養育する商売もあったが、中には、金だけもらって「捨て子」を捨てる悪徳業者もいたという。元禄の江戸は治安も不安定になっておりました。
江戸時代 (徳川時代) の前、
織田信長は、これまで武士であり農人→兼業武士から専門武士『1つ』にまとめて日本島を統一しました。それを引き継いだ豊臣秀吉の時代は、失業武士が溢れていて戦争をしました。鉄砲により『発展と崩壊』という「二面性」を持っていました。
徳川の時代、犬公方は戦争→「表」にはすり替えづ「内」ですべてを背負った。そして、天下の悪法・犬公方 (いぬくぼう) はマザコンなど‥「悪者」となったイメージの転換期であったといいます。
徳川綱吉 / 犬公方 (いぬくぼう) の時代は、戦争のない平和な世の中、人口もたくさん増えて、貧富の差、捨て子も増えて、新たな問題がたくさん見えてきました。
犬公方 (いぬくぼう) も、平和的な方でありましたが、人々は犬公方が亡くなると、「生類憐みの令」を廃止しました。
植物と動物、戦争と平和、自由と平等、直接と間接、目に見えない『交換場』も‥
今の時代、
その時代に似ていると思いました。