弥勒世果報 (ミルクゆがふ) の説話によると、「ミルク様」は西洋では悪い神 ⇔ 東洋では良い神‥ という言い伝えがあります。
弥勒世果報 (ミルクゆがふ) とは、「前の世」でミルク様が行っていた良い結果が報いとなり『この世』に登場する‥ という弥勒 (みろく) 信仰の1種だといいます。
http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/miruku.html
弥勒 (みろく) 信仰自体は、東西南北さまざまな形態として伝わっていますが、弥勒世果報 (ミルクゆがふ) の信仰は、沖縄島 → 宮古島 → 石垣島 → 八重山諸島 → 台湾島など‥ 南に行くほど強くなったり、風習が残ったりしています。
北方の弥勒菩薩と南方の弥勒菩薩、
http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7485630.html 伝路や ミタメ は違うけど、根は同じだと云われています。
そこで‥ ミルク様は、西洋では悪い神 ⇔ 東洋では良い神‥ とされている事について考えてみました。
ー(・・? ー・ー
八重山諸島には、「サーカ神とミルク神の説話」が数多く存在します。
http://www.kentoushi.com/home/history/densetsu/iriomote/ir_densetsu.php
数多くの説話によると、悪い神・サーカ神と良い神・ミルク神との「力くらべ」により、ミルク神はサーカ神に負けてしまいます。そして、ミルク神は島を出て行き ⇔ サーカ神が島を統治するようになります。ところが、島の人々はミルク神が統治していた時代の方が良かった‥ と、名残惜しむ説話になっています。
その説話は、当時の琉球国なか、宮古島、石垣島 → 八重山諸島の人々が中央 = 沖縄島 (首里王府) の税制に対する「苦」を表現する説など‥ 当てはめて場合もあったようです。 とりわけ、「サーカ神とミルク神の説話」の源 (みなもと) となるお話が、各地の国群や島しま、時代による説があり、サーカ神は「お釈迦様」⇔ ミルク神は『弥勒様』という説もまた数多く存在します。
http://www.lequio.co.jp/pc/show2.php?c1=03shi&c2=2013&vol=1485
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よく考えてみると、
その説話は、仏教の考えからすると、トンデモないお話になってしまいます。*弥勒信仰は仏教に分類され、お釈迦様は如来 (にょらい = 仏陀) ⇔ 弥勒様は菩薩 (ぼさつ) になります。
仏教では、
悟りに達して目覚めた人を仏 (陀) 。その「仏陀 (ぶつだ) 」の尊称が「如来 (にょらい) 」といい、釈迦如来、阿弥陀如来 (阿弥陀仏)、薬師如来、大日如来など‥仏と如来は『仏陀』であるという。 そして、仏陀 = 如来の側には、菩薩 (ぼさつ) と呼ばれる仏様がおり、薬師如来の側には、日光菩薩と月光菩薩が付随しています。
http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7511354.html
お釈迦様は『仏陀 (先生)』> 弥勒様は「菩薩 (助手)」になるので、
悪い神・サーカ神 = お釈迦様 ⇔ 良い神・ミルク神 = 弥勒様‥ という説話は、仏教の考えからすると、トンデモないお話になってしまいます。
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異説として、
弥勒信仰は仏教 そのもの ではなく ⇔ 仏教の中に隠れた ミトラ教 のミトラ神を弥勒 (みろく / ミルク) 様と見立てた信仰だと云われ、悪い神・お釈迦様 = キリスト様 ⇔ 良い神・弥勒様 = ミトラ様 ‥ になります。そして、弥勒様 (ミトラ神) は、西洋では悪い神 ⇔ 東洋では良い神‥ になります。
(・_・; 仏教の考え、キリスト教の考え ⇔ どちらにしても「ミルク神とサーカ神」の説話は、トンデモないお話になってしまいます。
しかし、そのトンデモないお話こそ「紀元前 / BC 」~『紀元後 / AC 』へと移る時代から続く秘密 (ひみつ) のお話だといいます。
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キリスト以前を「紀元前 / BC 」⇔ キリスト以後は『紀元後 / AC 』という時代表記をし、その BC ~ AC の間の時代に「キリスト教 = 新興宗教」が普及しています。
紀元前 (キリスト以前) のローマ帝国では、ミトラ教 / 牡牛信仰?‥ が流行していたといいます。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99
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スペインの「牛追い祭り」もミトラ教 / 牡牛信仰?‥ の名残り、いう人もいます。
http://1000ya.isis.ne.jp/0445.html
ミトラ教とキリスト教の「考え」は似ている →
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html そのため、キャラ / 存在がかぶる。実は‥ キリスト教よりもミトラ教の方が古いけど、新興宗教・キリスト教徒は古い信仰・ミトラ教徒を弾圧したので、ミトラ教徒は西洋 ~ 東洋へと → 引越した‥ という。
しだいに東方ミトラ教は、仏教の中の弥勒信仰へと混合して行きます。 そのため、弥勒信仰の本質は、仏教でもキリスト教でもなく ⇔ ミトラ教でした。*しかしそれは‥ 秘密 (ひみつ) です。
そうしますと、
弥勒様 (ミトラ神) は、西洋では悪い神 ⇔ 東洋では良い神 →
悪い神・サーカ神 = お釈迦様 (キリスト様) ⇔ 良い神・ミルク神 = 弥勒様 (ミトラ様) ‥ という説話も、うなづけます。*しかしそれも‥ 秘密 (ひみつ) です。
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も1つ秘密のお話として、
むかしの中国 → 明国 / 明朝の「明」、むかしの日本 → 明治の『明』は同じ‥ という説があります。 *明が治める?‥
むかしの中国 →「明」~『清』へと政権交代した時、 江戸時代の日本に明朝の残党・朱舜水が亡命して来ました。 朱舜水はラーメンと朱子学 (儒教の1種) を持ち込みます。
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11993726407.html
明朝の残党・朱舜水が持ち込んだ「朱子学」の思想は明治維新に深く関与しています。
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11989270636.html
「明」は日 →「火」を意味し ⇔『清』は川 →『水』を意味し、当時の明朝 (南朝) は「漢民族」⇔ 清朝 (北朝) は『満州族』でした。そして、明朝 (南朝) の残党・朱舜水は、日本で南朝 (明朝) 復古をしたいと思っていました。
朱舜水が持ち込んだ朱子学の祖は、宋代の朱熹 (しゅき) で、彼は東方ミトラ教を学び「朱子学」を興したという。
ー↓転載記事↓ー
12世紀以降の中央アジアと中国では、東方ミトラ教ミーフリーヤ派(弥勒派)が活発な活動をし、彼らから朱子 / 朱熹 (しゅき) は東方ミトラ教を学び「朱子学」を興した( 12 世紀) 。更に王陽明が「陽明学」を築いた(15世紀)。東方ミトラ教は別名を「明教」というが、中国では明(1368~1644)という王朝名の由来となった。
朱子学と陽明学は東洋版神智学の双璧である。日本では江戸時代に林羅山、三浦梅園らが「日本朱子学」を興隆させ、中江藤樹らが陽明学を興隆させ、伊藤仁斎らが「古学」を起こし、荻生徂徠が「徂徠学」を起こし、本居宣長らが「国学」を起こした。
「神智学」はマダム・ブラバッキーやルドルフ・シュタイナーの十八番と思われがちだが、そうではない。東方神智学的な認識は、日本の朱子学や陽明学、徂徠学、国学などのいわば日本版神智学と極めて類似した思考パターンを示している。国学=日本版神智学と考えたほうが正解である。
ミトラ信仰は、中央アジアから中国・古代朝鮮を経由して日本にも伝えられ、弥勒信仰の中に生きている。日本において弥勒信仰は、そのまま仏教だった。当時、いち早く仏教を取り入れようとしたのは、蘇我氏であった。彼らは仏教を政治的に利用して、古代日本の支配権を手に入れた。
その際、蘇我氏がバックにつけたのが仏教を持ってきた渡来人たちであった。なかでも、最大の力を誇っていたのが「漢氏(あやし)」なる一族だった。漢氏は、ペルシア系渡来人で、仏教のほかに奇妙な信仰を持っていた。それは、漢氏にちなんで「漢神信仰」と呼ばれたが、その中心は雄牛を殺す儀式にあった。この儀式はミトラ教の密儀に通じている。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_mitra.html
ー↑転載した↑ー
(・・? 蘇我氏も?‥
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12011997759.html
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明朝の国名の由来は、明教 (マニ教) の「明」で、 明教 (マニ教) は 祆教 (ゾロアスター教) から派生し、景教 (ネストリウス派キリスト教) とも混合したり、分裂したり、隠れたりもしているといいます。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E4%BB%A3%E4%B8%89%E5%A4%B7%E6%95%99
明教、祆教、景教、3つは、西方起源の「三夷教」として中国の古い信仰であったようです。
「三夷教」の3つ信仰すべてに ミトラ教 が隠れていたと云われ、景教 (ネストリウス派キリスト教) を吸収した 祆教 (ゾロアスター教) → 祆教 (ゾロアスター教) から派生した 明教 (マニ教) という仕組みになります。
ミトラ教 は各宗教に隠れながらも 東西南北 さまざまな形態、伝路により仏教の中の弥勒信仰にも通じていました。
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もう一度振り返って見ると、
http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12014390041.html
1368年
中国島では、元 (蒙古族) ~ 明 (漢民族) へと政権交代しました。
初代 明の太祖・朱元璋 (後の洪武帝) は、農民出身で白蓮教徒であった。
白蓮教とは、
さいしょ 念仏を唱える阿弥陀信仰であったが、やがて弥勒信仰を加え、唐代にはペルシアから伝わったマニ教 (明教) と混合した。
白蓮教では、世界は「明と暗」の二宗あり、弥勒仏が下生 (現世に登場) して明宗が暗宗に勝利すれば極楽浄土が出現すると説く教えであった。このような「現世否定」⇔『来世願望』という救世主待望の教えは、現体制に不満を持つ民衆の心を引きつけ、しばしば農民反乱と結びついて大きな勢力となった。
時の政権 (朝廷) → 宋 (南朝) も元 (北朝) も危険な邪宗として取り締まった。しかし、元朝の末期にはその勢力は各地に拡大し、紅巾の乱 (白蓮教徒の反乱) へと発展した。そして、元朝を倒した白蓮教徒 (反乱軍) の隊長・朱元璋がそのまま「明」の初代 皇帝・洪武帝 (朱元璋) として即位していました。
ー・ー
その時の、 白蓮教 は、インド経由の弥勒信仰 (ミトラ教の1種) とペルシア経由のマニ教 (ミトラ教の1種) という根は同じで違う伝路でミトラ教が合流しているようにも見えます。そして、元朝を倒した白蓮教徒 (反乱軍) の隊長・朱元璋がそのまま「明」の初代 皇帝・洪武帝 (朱元璋) として即位していました。
実は‥ その、 インド経由の弥勒信仰 (ミトラ教の1種) とペルシア経由のマニ教 (ミトラ教の1種) が合流して 白蓮教 が生まれていましたが、1部インドと1部ペルシアは同じ アーリア人 で、キリスト教が普及する前の古代ローマ帝国で ミトラ教 を流行させていたのは、 アーリア人 で彼らの持つ古代信仰 だと云われています。
そうすると、
古代ローマ帝国 → アーリア人 → ペルシア ⇔ インド → 中国 → 東西南北さまざまな形態、伝路で‥ という仕組みのようにも見えてきました。
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結果はよく解らないのだが、
白い箱を開けると、
赤い箱が出てきた‥