やちむん通り

阿佐工房

2013年08月31日 13:46

2013年8月30日


9月の家賃を納めに、
不動産を訪れた日の事である。


町は次第に、違っていました。


15世紀頃、
南蛮貿易が行はれ、『なんばん』といふ素焼きの焼物(やちむん)が登場しました。


16世紀頃、
豊臣秀吉の『朝鮮役』から朝鮮陶工の手法も九州島→沖縄島に伝はる‥


素焼きの「南蛮焼き」に加えて上薬を塗られた焼物(やちむん)も登場しました。


1662年
焼物(やちむん)は、牧志村に一まとめされた。


人々は、この窯場一帯の焼物(やちむん)通りを『壺屋』と呼び、いつしか地名となるわけであつた。


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1945年
沖縄島を焼く人々が登場しました。


幸ひなことには、
壺屋の一部は奇蹟のやうな一角が生残つてゐた‥


戦火を免れた壺屋の民家、


『しいさあ』が番人のやうに立ちはだかつてゐる。


『しいさあ』と『石敢當』は魔除けである・・



壺屋の焼物(やちむん)通り入口には、


樹齢を経た一本の『がじゅまる』の木におほわれるやうにして、




傾斜面に巨大な登窯が横たはつてゐる。







壺屋は、
ここから曲りくねつた道の両側に、大小の窯を築いて働いてゐたのである。


今では
『煙』の影響から窯場は引越し、


観光地となつてゐる。


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ところで、
南蛮(なんばん)と言ふ文字は、蔑称であつただらうけれども、憧れの意味をこめて使う人々もいました。

今もなお、
『なんばん』が、基本となつてゐるから、



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赤土は待つ

真赤な炎の照り返しに

吹き込まれる生命の音

壺は健やかに生れかし

窯は身を揺るぎし言ふ

信じていなさい私を

赤土は夜空を仰ぐ

星が目をみはつてゐる下で

かれらは待つ

生まれてくる子どもたちを待つ



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(’-’*)♪ なんてネ‥






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