阿佐工房のブログ
大君 (たいくん) 外交
阿佐工房
2016年03月17日 00:43
1633 (寛永10) 年、
江戸時代の初め / 2代将軍・徳川秀忠の時代に柳川一件という事態が起きた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E4%B8%80%E4%BB%B6
前政権・豊臣秀吉の朝鮮出兵 ~ 断絶していた日朝、日明関係の国交修復が試みられ、九州・対馬藩の宗氏を仲介に朝鮮国との交渉が行われることになります。
当初、「日本国源秀忠」と送る予定の国書を、対馬の宗氏は独断で偽造し「日本国王秀忠」と署名して貿易の開始を取り付けた。という事態です。
ー・→
江戸幕府の徳川家は朝廷より『征夷大将軍』という称号を得ていましたが、その称号は国内では通じても ⇔ 国外では通じません。
*当時、東アジア貿易 / 冊封体制下の対明貿易を行うには、明 (みん / 中国) の臣下となり、その国の代表としての称号が必要でした。
ー・ー
その昔、
室町幕府の足利義満も『征夷大将軍』という称号で日明貿易を試みましたが、明側から日本代表とは認められづ『日本国王』という称号にて貿易を許されたいきさつがありました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%8E%8B
ー・ー
2代将軍・徳川秀忠の時代の朝鮮国は明 (みん / 中国) の冊封体制下にあったので、九州・対馬の宗氏を介して貿易を試みましたが、対馬の宗氏は「日本国源秀忠」という国書では日本代表とは通じないと独自で判断し「日本国王秀忠」と偽造 / 署名して貿易の開始を取り付けたように思われます。
ー(・・;) ー・ー
その昔、
http://asakobonobulogu.ti-da.net/e8393148.html
室町幕府の3代将軍・足利義満が冊封体制下『日本国王』として貿易をした時には『逆賊』と呼ばれた事もありました。
⇔ しかし、
対外貿易は行いたい。
ー!ー
そこで!
江戸幕府の徳川政権は日本国大国 (にほんこく たいくん) という称号を考えます。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%90%9B
しだいに日本も、明 (みん / 中国) の冊封体制下にあった朝鮮や琉球を通して → 対外貿易を行うようになります。
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