明産の黒豚 ?

阿佐工房

2015年11月12日 01:17

2015年11月+-日

+ 電池の日 -

その日の新聞には、

『県産黒豚 / アグー』の販路拡大記事が載っていました。

沖縄県の『県産黒豚 / アグー』は、
近年じょじょに全国的 (日本国内) の知名度を高めている。

現在、中国政府の法律 / 見解では『外国産の豚』を輸入する事が禁じられているため、ひとまづ 香港 で商標登録をし、次第に中国本土へ販路拡大して行こう!というような記事になっていました。*すでに香港では、中国本土の人々が『県産黒豚 / アグー』を購入しており、知名度も高まっているもよう。


ー・ー



戦前 (1945年の前) まで、民家の中に『フール』がありました。



『フール』は、厠 (かわや / トイレ) と豚小屋が連結していました。


ー・ー


(・・;) 実は、『フール / 厠』も『アグー / 黒豚』も元を辿れば、ある島から来たと云われています。

言い伝えによると、

http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7032489.html 琉球は察度 (さっと) 王の時代 (1349年~1394年) は、中国島では元~明、朝鮮半島では王氏高麗~李氏朝鮮、日本列島では室町時代の始まり 頃に琉球 / 沖縄島にやって来た人々が普及させた風習だと云われ、*その言い伝え とおりだと『フール』と『アグー 』は セット (2つで1つ) で来ていた事になります。

中国島と沖縄島の間には久米島があり、

久米島は『風と潮』を待つ島で、輸入品 / 輸出品など‥ いったん久米島を経由して西へ東へ進んでいました。

通常の輸入品は、

今の福建省福州市から久米島を経由して、御物城 http://asakobonobulogu.ti-da.net/e7058080.html → そして、那覇の久米村に住む人々が中国製品 / 貿易品のチェックや通訳みたいな作業が行われていました。

通常の輸入品 : 中国島 → 久米島 → 沖縄島

⇔ ところが!

輸入品 / 貿易品の中でも 「黒豚」 だけは経由方法が違っていました。


「黒豚」 だけは『粟国 (あぐに) 島』を経由して那覇の港にやって来ました。

「黒豚」 : 中国島 → 粟国島 → 沖縄島


ー・ー


一説によると、
伝染病予防のため『粟国 (あぐに) 島』に 「黒豚」 を一時保管し、那覇の港へ運ばれていました。

その 「黒豚」 は『粟国 (あぐに) 島』から来たので『アグー』と呼ばれていた?‥ という説があります。

その『黒豚 / アグー』は、子を一頭とか小数しか産まなかったので、時代とともに子をたくさん産む『白い豚』にとって変わったと云われています。

*その言い伝え とおりだと、
もとは『中国産』の黒豚?‥


ー(・・;) ー・ー



2015年11月+-日

+ 電池の日 -

その日の新聞には、

『沖縄こどもの国 (動物園)』から、ツキノワグマの美月 (みつき) が脱走したという記事も載っていました。https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=140983

(・・;)

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- 見てない -

+ 電池の日 -





















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