日宋貿易と日明貿易

阿佐工房

2016年02月07日 00:04


net 上で、広厳寺 (臨済宗の寺) について調べていたところ、何かの間違いでは?‥ と思いつつ、

広厳寺 (こうごんじ) は『摂津国』→ 今は神戸市楠町、大倉山駅あたりにと載っていました。


ー・→



実はこれまでずっと、神戸市は 「播磨国」 だと思っていた。


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内容はダイブ飛んでしまいますが、
(・・!ということは!と思う事がありました。それは確か?‥ 神戸港の前身は 「大輪田の泊」 で、奈良時代の僧・行基が造り、平安時代の末期に平清盛が再び整備していた事が気になりました。* 「大輪田の泊」 は『日宋貿易』の拠点


ー(・・? ー・ー


1450年、
室町時代に京の南禅寺より来沖した芥隠承虎 (かいいんしょうこ) は、

「広厳寺、普門寺、天龍寺」 という 3つ臨済宗の寺を琉球に建てていました。

おそらく普門寺は、南禅寺の開祖・無関普門の名前と関係しているように思われ、無関普門は後醍醐天皇より 「大明国師」 という諡号を与えられていました。そして、広厳寺は楠木正成と所縁 (ゆかり) のある寺、天龍寺は後醍醐天皇の菩提を弔う寺でした。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-12124068061.html

*楠木正成は後醍醐天皇に最も忠誠を誓った人で広厳寺 (こうごんじ) の近く湊川で亡くなっています。


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室町時代が始まる前に、。

奈良時代 → 平安時代 → 鎌倉時代 → 建武新政時代 (2年半ほど) → 南北朝時代 → 室町時代 とあり、その南北朝時代に 後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞などは 「南朝 (奈良)」 ⇔ 室町幕府を開いた足利尊氏は 「北朝 (京都)」 の派閥でした。

室町幕府 (足利政権) は、前の政治は 「北朝」 ⇔ 後ろ祭祀は 「南朝」 という『祭政一致』の政権でした。

芥隠承虎 (かいいんしょうこ) が琉球に建てた 「広厳寺、普門寺、天龍寺」 という 3つ臨済宗の寺はすべて 「南朝」 に所縁する名前だと思われます。

名目上は怨霊信仰だけど多少は経済活動、
表面上は 「祭祀」 ⇔ 水面下は 「経済」 → いわば『祭政一致』とは『政治と経済』の事で、当時の日中関係は琉球をクッションにして通じていました。

『政治と経済』が当たり前と思う人もいるかもしれませんが、当時 / 室町時代の日中関係は当たり前ではなかった。

室町幕府の3代・足利義満は『日明貿易』をしていました。その航路は 「大輪田の泊」 →『日宋貿易』に通じます。

日本と中国の関係、北朝と南朝の関係、政治と宗教の関係、

いったい何を?‥ と文になっていますが、それを知ると 「パズル」 のように、色いろ繋がる予感がしました。

















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