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山から来た金太郎

昔んかし、
箱根の足柄山に、山姥 (やまんば) に育てられた「金太郎」という山の子 (鉄の民) が住んでいました。

金太郎は、山に住む獣 (けもの) や魚、鳥など仲間と遊んだり、相撲をしたりして毎日を過ごしていました。相撲では大きな熊を投げ飛ばしたり、川では暴れん坊の大鯉を捕まえたり、どんなに大きな熊、魚、鳥も金太郎にはかないません。

金太郎は山でも大将でした。けれども金太郎は決して威張らず、いつも動物達をかわいがりました。食べ物は山の仲間に分け与え、谷を渡れない動物のために木を切り倒して橋をかけてやりました。金太郎は力とともに知恵と勇気をもった正義の味方だったのです。

数年が過ぎ、春が来ました。ある日、金太郎は動物たちと隣りの山に探検に出かけました。その時、大きな熊の背中に股がり、鉞 (まさかり / 大斧)を肩に背負います。金太郎の後をネズミやリス、猿にウサギ、キツネ、タヌキ、猪に鹿がついていきます。

崖 (がけ) に近づくと、谷底には激しく川が流れていました。そこで、熊がこう言いました。「あの大きな木を倒して橋を作りましょう。」と、熊は木を押しましたがびくともしません。押しても葉っぱが揺れるだけです。「よし!私がやってみよう。」と‥金太郎は肩に背負っていた 鉞 (まさかり / 大斧) で 大きな木を切り倒しました。するとどうでしょう!これまでびくともしなかった大きな木が傾き、大きな音とともに倒れ、川の上にかかりました。みんな大喜びです。

すると後ろから声がしました。「今のは!ものすごい力だ。」そこには立派な武士とその家来が立っていました。

その武士は:「わたくしは源頼光 (よりみつ) と申す者です。私の家来になりませんか。」

金太郎は:「こんな私でも武士になれるのですか。」

その武士は:「あなたならきっと、すばらい武士になれるでしょう。」と‥答えました。

金太郎は山を去ることにしました。動物たちも金太郎をさびしそうに見送りました。

数年が過ぎ、金太郎は坂田金時という武士になり、大江山に住む鬼も退治しました。金太郎はとても強くて忠実な武士になったそうです。

山から来た金太郎
金太郎は熊に股がり、いつも大きな鉞 (まさかり / 大斧) を肩に、赤い腹掛けをしていました。


ー・ー


童謡・金太郎のお話には、
山の民 (鉄の民)など‥当時、地位の低かった人々でも実力があれば地位の高い武士になれる。山間部~都市部に「出世」ができるお話に通じると云われています。また、「金時 (きんとき) 豆」の名前の由来は坂田金時 (金太郎) から、金太郎の息子・坂田金平から「金平 (きんぴら) ゴボウ」というの名称がついた、といいます。

金太郎の古里は、日本列島あちこちにあり、童謡に記された箱根の足柄山、となりの静岡県小山町、兵庫県川西市 (源 頼光の生誕地 )、滋賀県長浜市 (坂田発祥地) など‥各地に伝説がある。

源頼光 (よりみつ) に仕えた4人の家来は「頼光四天王」と呼ばれ、平安時代・源頼光の時代から100年程後に出版された「今昔物語」にも登場しています。坂田金時 (金太郎)を除いた3人の家来は、その実在が証明されていますが、坂田金時 (金太郎) の実在を証明する資料はまだ見つかっていないようです。


ー・ー


童謡・金太郎のお話は、江戸時代に箱根の足柄山 (東国) で定着しますが、金太郎のモデル・坂田金時と源頼光 (よりみつ) に仕えた4人の家来「頼光四天王」は平安時代の西国の人々で、丹後半島、丹波国あたりの大江山が舞台になっていました。

江戸時代、鎌倉時代など‥内容は違うようでありますが、金太郎は鎌倉時代の説話集にも源頼光の四天王の一人として、公時(きんとき)という名で登場し、大江山で鬼神 (酒呑童子/しゅてんどうし)を退治しています。

やがて成長した金太郎 (出世した金太郎)は都に上り、鬼や盗賊を退治した有名な武士になります。金太郎は、山の民、鉄の民から『武士』になりました。*当時、山の民、鉄の民、土蜘蛛、国栖、井光など‥夷 (鬼 / おに)と呼ばれていました。

金太郎 (坂田金時) の師匠・ 源頼光 (よりみつ) は、平安時代は摂津国多田庄 (今の兵庫県川西市) を拠点とする摂津源氏 (多田源氏)で、大江山の鬼・ 酒呑童子退治や葛城山の鬼・土蜘蛛退治など‥鬼退治伝説に登場する武士でありました。


ー(・・?ー・ー


確か?‥金太郎も、元は山の子 (鉄の民) でありました。実力を認められ「出世」して武士になったお話で、 山間部~都市部に下りていました。

その事は、「夷を以て夷を征す」お話に通じます。*夷 (い)とは、夷 (鬼 / おに)の事で、征夷大将軍の「夷」と同じです。

金太郎が退治した 酒呑童子は、金太郎と共通点が多くありました。「大江山絵詞」や「御伽草子」の 酒呑童子の話しよると、

昔、丹波国大江山には、鬼神 ( 酒呑童子 ) が住んでおり、京の都に出没しては、女人をさらっていくのだった。鬼退治に出かけた 源頼光 (よりみつ) と金太郎 (坂田金時) を含む4人の家来 (頼光四天王) は、大江山に辿り着いた。そこで、3人の翁 (おきな) に出会う。3人の翁も 鬼神 ( 酒呑童子 ) に妻子を奪われ「不満」を持っていました。

鬼神 ( 酒呑童子 ) は、酒好きで赤ら顔をしていた (金太郎も赤ら顔をしていた)。3人の翁は 鬼神 ( 酒呑童子 ) を退治する「毒酒」を用意していました。その 「毒酒」は人間が飲むと、かえって薬水になる不思議な酒 (水) でありました。 また、平安京が都の時代「陰陽道」では、乾 (北西) は忌むべき方角とされたが、当地は都の乾の方角にあり、 鬼神 ( 酒呑童子 ) =疫病をもたらす疫神という説もあるといいます。

中国の「陰陽道」では、北東の方角を『鬼門』と称し忌み嫌っていましたが、日本では西北から吹く風を悪い気を運んで来る 『鬼門』としていたようです。今では地球の自転による西北から吹く風→疫病=赤ら顔をした 鬼神 ( 酒呑童子 ) という説もあるといいます。

またまた、酒呑童子や羅生門の鬼に代表されるように、京の都に出没する鬼は、王権を脅かす政治的な色合いの強い鬼である。天皇が勅命を下し、武将に鬼を退治させる物語は、王権が自らの権力を誇示し、その物語を通して王権を称掲する手段にしようとして、つくり出したものではなかったのか。あるいは、中世に入り、地に堕ちた王権を支えようとした人々の願望としての王権神話ではなかったのか。とも‥云われています。

詳しくは解りませんが、
金太郎は「山の鬼神」⇔ 酒呑童子 は『水の鬼神』になるようです。そして、「夷を以て夷を征す」→『鬼退治する人は昔、おに』だった‥お話に通じます。例えば、白鳥伝説に登場する鬼退治をしたヤマトタケルも鬼 (おに) になり、鬼退治 (平家を亡ぼした) をした源義経 (よしつね) ←源頼朝 (よりとも) の弟も鬼 (おに) になっています。

鬼退治する人は昔おに、鬼退治した後おに→繰り返しています。


ー・ー


「陰陽五行説」では、 生活に関する現象と物質を『木 火 土 金 水 (もくかどこんすい) 』5つの相互関係からなる説明を『五行論』といっています。

木は燃えて火に、火は木を灰にして土に、土の中から金属 (鉄類) など‥鉱脈に通じ、鉱脈には水が流れて、木→火→土→金→水→繰り返す「生む」関係を相生 (そうしょう) といいます。

山から来た金太郎
反対に ⇔ 木は土を貫いて成長し、土は水をせき止め、水は火を消し、火は金属を溶かし、金属は木を切り倒す、土⇔水⇔火⇔金⇔木⇔反発する『壊す』関係を相剋 (そうこく) といいます。

→ 「相生」 →流れる関係⇔ 『相剋 』⇔止める関係があるといいます。


ー(・・?ー・ー


前触れは長くなりましたが、
これまでのお話の中で、気になる事がたくさんありました。

昔は地位が低くとも「出世」したお話、江戸時代の金太郎、平安時代の金太郎、山の民、鉄の民、坂田、3人の翁など‥ もっと古い時代、古代豪族・息長 (おきなが) 氏にも通じるのではないか?‥思いました。

これまでのお話は、
「前触れ」でありますが、気になる事がたくさんありましたので、これから考えて見ようと思います。

















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Posted by 阿佐工房 at 2014年10月03日   00:24
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